3. 臨時政府の通貨発行
戦争と脅威的な経済崩壊と社会的混乱状態の中で臨時政府は成立した。
形式的には全ロシアの行政と立法の最高権力が臨時政府の手に委ねられたが、
この政府は革命の過程に生まれたペトログラードの労働者兵士代表ソヴェト (評議会) の条件付き承認と支持を得てはじめて成立したものであり、しかもこのソヴェトは臨時政府に常に圧力をかけ、時にはこれを無視して独自の行動をとったことから、ここにいわゆる二重権力の状態が生まれた。
この状態は 1917年7月8日に ケレンスキー が首相に就任し、
7月24日の第二次内閣改造が行われたことにより解消したが、
同時にソヴェト (評議会) は無力化し、権力は完全に臨時政府の手に帰した。
3月6日に臨時政府はドイツとの戦争完遂を宣言し、連合国との協定を果たす
ことを改めて確認しており、連合国列強は二月革命を好意的に受け止めていた。
3月9日 (22日) にアメリカ合衆国が臨時政府を承認したことに続いて
イギリスとフランスも承認を表明し、日本も 14日 (27日) には臨時政府を承認している。
臨時政府は連合国側の支援のもとに戦争勝利への虚しい努力を続けたが、
既に戦局を挽回させることはできず、国内の混乱は更に悪化していった。
二月革命当時には、実際はわずか 14億7600万ルーブルの金と疑制的な " 在外正貨 "
(連合国の金公債) 21億4100万ルーブルによって保証された 100億ルーブルにも及ぶ
紙幣が流通していた。
しかし、臨時政府は通貨安定のための如何なる処置をも講じなかったばかりか、
膨大な戦費を賄うために更に紙幣を乱発しており、帝政時代の様式の各種紙幣に加えて、
1917年4月26日の布告により、額面 1,000ルーブルの
国家信用券 (ドゥマ紙幣) を発行し、
更に8月22日には、250ルーブル国家信用券と 20 および 40ルーブルの
国庫紙幣 (ケレンスキー紙幣) を発行した。
この国家信用券には帝政時代の様式と同様に金と兌換される旨が記載されているが、
金兌換は既に 1914年7月に停止されており、実際には不換紙幣であった。
また、ケレンスキー紙幣は極めて質の悪いものであり、
この紙幣は各々数十種の表記価格のある切取線の付いた刷判全紙のままで、
何らの番号も付けられることなく発行された。
このようにして、臨時政府が統治した8か月の間に、総額 95億ルーブルにも及ぶ
各種の紙幣が発行され、紙幣の流通高は2倍あまりに増加しており、それに伴って
無準備発行限度額も次のように拡張されている。
無準備発行限度額の推移
1917年3月4日 |
85億ルーブル |
1917年5月15日 |
105億ルーブル |
1917年7月11日 |
125億ルーブル |
1917年9月7日 |
145億ルーブル |
1917年10月6日 |
165億ルーブル |
1914年夏の大戦勃発当時には 16億ルーブルあった国立銀行の国内金準備額は、
二月革命当時、既に 14億7600万ルーブルに低下し、更に、十月革命当時には
12億6000万ルーブルにまで減退していた。
それに対して十月革命直前の 1917年10月23日における紙幣流通高は
189億1700万ルーブルに達しており、流通紙幣に対する金準備は
わずか7%に過ぎなかった。
è
1917年3月−11月の間の紙幣流通高
二月革命当時の1ルーブルの実質購買力は、大戦前に比較して 27コペイカに
下落していたが、更に十月革命までの8か月間に1ルーブルは6〜7コペイカにまで
その価値を減じており、しかも、その間には通貨の減価速度 (物価騰貴速度) が
膨張速度を上回るようになった。
この傾向は臨時政府成立後2か月目から現れはじめ、その後は紙幣の乱発が一層
激しくなったにもかかわらず物価騰貴速度を追越すことはできなくなり、
流通市場にある通貨総額の実質価値は減少して、通貨不足が深刻になってきた。
そして、特に都市労働者の生活は更に一層その困窮の度合を強めてくる。
大戦勃発当時 (1914年7月) から 1917年8月までの間にモスクワでは、
労働者の賃金は平均して500%強増加したが、これに対し食料品の価格は
平均 556%、すなわち賃金よりも 51%多く昂騰し、その他の生活必需品の価格は
約 1109%、すなわち賃金の増加率の2倍以上も騰貴しており、その差額は
投機業者や商人たちの懐に入ったのである。
更に、十月革命当時の貨幣賃金はもはや労働者の最低生活をも保証しなかった。
労働者1日当たりの賃金 (単位はルーブルとコペイカ)
職業 |
1914年7月 |
1916年7月 |
1917年7月 |
大工・家具職 |
1.60−2.00 |
4.00−6.00 |
8.50 |
土方 |
1.30−1.50 |
3.00−3.50 |
― |
煉瓦工・左官職 |
1.70−2.35 |
4.00−6.00 |
8.00 |
ペンキ屋・家具職 |
1.80−2.20 |
3.00−5.50 |
8.00 |
鍛冶屋 |
1.00−2.25 |
4.00−5.00 |
8.50 |
煙突掃除夫 |
1.50−2.00 |
4.00−5.50 |
7.50 |
錠前屋 |
0.90−2.00 |
3.50−6.00 |
9.00 |
手伝職 |
1.00−1.50 |
2.50−4.50 |
8.00 |
1917年10月のモスクワ商工会議所と労働省モスクワ局の合同委員会によって編集され、
1917年10月26日の 「新生活」 紙上に発表されたものである。
(ジョン・リード 「世界をゆるがした10日間」)
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