ロシア革命の貨幣史

 

 

非貨幣交換のための貨幣代用物
(1921年、キエフ)

 

「穀物20プード/200株」現物決済証票

ロシア革命後の内戦が終結し、戦時共産主義経済から新経済政策 (ネップ) への政策転換が始まったばかりの1921年初頭のきわめて短い期間、「理性と良心」 現物決済同盟という労働者と農民の協同組合連合体がウクライナのキエフに存在していた。 この現物決済同盟からは、奇妙な貨幣代用物が発行されている。


「理性と良心」 現物決済同盟は、株式協同組合の原則に基づいて設立された勤労者の連合組織で、その組織の目的は、農産物を生産する農民と手工業製品を製造する労働者との間で労働の非貨幣交換を行うことにあった。 この非貨幣交換のために、額面が穀物 (ライ麦粉) の重量で表わされた貨幣代用物が発行されており、それは現物決済同盟に貯蔵されている生産物と交換されることになっていた。 このような金銭の受払を伴わない労働交換は、現物決済同盟の趣意書によれば、貨幣危機と呼ばれている当時の破壊的状況や、その危機によって生じる失業から、加入会員を防護する唯一の有効な方策になるはずであった。

 


 

ロシアの協同組合は西ヨーロッパの影響のもとに19世紀後半に発生し、20世紀に入ると急速に発展した。 殊に第一次大戦の時期には、食糧や生活必需品の困窮化などによって各種の協同組合が急増している。 ロシア革命直後のソヴェト政権は生産物の調達と分配の機関として消費協同組合を利用していたが、まもなく戦時共産主義のもとで、それらを国有化した。

1919年から20年には、労賃の多くが現物で支払われ、無料で国民に物資が配給され、労務を提供させる、といった自然経済、貨幣なき経済が導入されている。 国営企業や国家施設の相互間の貨幣支払が禁止されて (1920年6月15日)、すべての支払は記帳によって行われ、運転資金割当ての一つの勘定から他の勘定への単なる転記という形態がとられた。 また、郵便、電信、電気、交通、住居などの公共サービスが無料となった (10月11日)。 このような経済関係の現物化は、1920年の末に頂点に達し、貨幣は事実上の機能を失った。

1920年11月に内戦が終結すると、食糧徴収などの戦時共産主義の諸制度が廃止され、新経済政策 (ネップ) へ移行するとともに、各種の協同組合が自発性の原則に基づいて復興しはじめた。 単純な協同組合が増加し、さらに流通が組織化されて、より高次の組織へと進化し、発展した。

1921年3月16日、第十回党大会において 「農産物の強制的な割当供出の現物税への転化と部分的な商品経済の法的容認」 が決議され、3月21日には食糧や原料の徴発を物納税によって取りかえることに関する農業税法が公布されて、農民に対して納税後の農産物の取引の自由が公認されることになったが、布告の第8条では次のように述べられている。 「租税納入後、農民の手もとに残る食糧、原料および資料の全ての貯蔵は、農民の完全な処分に属し、農民はこれを、自己の経営の改善と強化、個人的消費の向上、工場工業や農民的小工業および農業生産物との交換のために利用することができる。 交換は、協同組合を通じて、および諸市場で地方的経済取引の限界内で許容される。」

「理性と良心」 現物決済同盟が誕生したのは、まさにこの時期であった。

 


 

穀物の重量を単位とする 「理性と良心」 現物決済同盟の貨幣代用物は、10種類の額面で発行されている。

現物決済証票
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穀物1プード/10株
穀物2プード/20株
穀物5プード/50株
穀物10プード/100株
穀物20プード/200株

補助切符 (黄銅製)
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穀物100分の1プード/株
穀物100分の2プード/株
穀物100分の5プード/半株
穀物100分の10プード/1株
穀物100分の50プード/5株

 

「プード」 はロシアの旧い重量単位で、1プード = 16.380 kg である。

これらの現物決済証票や補助切符は二様の価値を持っていた。 現物決済同盟や取引先によって作られる全ての生産物や工場製品に対する支払いには、現物決済証票はライ麦粉の調達価格の金融市況に応じて1〜10%増しに算定されたその日の相場で、通貨に代えて現物決済同盟や取引先に受納される。 それに対して、通貨と交換する場合は、ライ麦粉の調達価格によって算定された割り増しなしの相場による。 すなわち、現物決済同盟が生産物や商品を販売するときは、現物決済証票を通貨と交換するときよりも低く価格が設定されることになっていた。

それだけであれば、本質的には商品券や食糧切符と変わりなく、類似のものはほかでも数多く発行されている。 「理性と良心」 現物決済同盟の証票の特異性は、次の点にあった。

 


 

「穀物100分の10プード」補助切符。 1株(パイ)の「権利」を持つ。

現物決済証票は交換手段であるばかりではなく、「理性と良心」 現物決済同盟の 「株券」 でもあった。 そのため、この証票の額面には、交換手段としての穀物重量の表記だけでなく、持ち株数も併記されている。
ライ麦粉 1.638 kg に相当する 「穀物100分の10プード」 を 「1株 (パイ)」 として、 現物決済同盟の趣意に賛同し、1株分以上の証票を所有すれば自動的に現物決済同盟の会員となる。 そして、会員は共済に基づく自助の形で、無利息融資など、相互保険に参加できる権利を持つことになっていた。

現物決済同盟の趣意書によれば、現物決済証票の所有者 (現物決済同盟の会員) は次の利益を持つ。
「利益の第1は、労働の対価に代えて現物決済証票を受け取ることにある。この証票によって、現物決済同盟の生産物や工場製品を、これらの証票に支払われる通貨に対するよりも低い価格で取得することができる。 第2に、所有している通貨を証票に交換することで、高利貸の金利や従来の株主配当の利率をはるかに凌駕する貨幣価値の低下から守ることができる。 最後に第3として、出資金により現物決済同盟の流動資産が増加する。この資産は現物決済同盟が生産的労働の需要を高めたり、したがって労働報酬の名目的基準だけでなく実質的な基準の増大に影響を及ぼすことに奏効する。」

 


 

「理性と良心」 現物決済同盟の創設者で理事会議長でもあったM.カリーナは、一時期熱心なトルストイ主義者であった。

文豪トルストイ (Лев Николаевич Толстой, 1828〜1910) は、「良心と理性と愛」 のみが必要なものであるとして、あらゆる秩序を批判し、暴力を否定し、トルストイ主義と呼ばれるキリスト教的な人間愛と道徳的自己完成を説いた。

M.カリーナは、常にさまざまな 「正義と真実」 の理想に傾倒しており、彼のアナルコ・サンディカリズム (anarcho-syndicalism : 無政府主義的労働組合主義) の思想的習癖は当時のキエフの労働者たちによく知られていた。 その習癖の痕跡(なごり) が 「理性と良心」 現物決済同盟である。

キエフの市民にとって、所持金を現物決済同盟の証票に替えることは、預金として最善の策であるはずであったが、多くの市民は現物決済証票を取得しようとはしなかった。 現物決済証票を所有すれば自動的に現物決済同盟の 「株主」 になり、きわめて少ない会費で大きな利益を得ることができることになっていたが、キエフの人々はM.カリーナのこの企ての中に何故か山師的な気配 (胡散臭さ) を感じ、この同盟を 「理性でもなく、良心でもない」 と結論したのである。 そのため、「理性と良心」 現物決済同盟は誕生後、その活動を数か月も持続できずに崩壊した。

 

交換手段として役立ち、かようなものとして社会によって受け取られれば、それは貨幣である。 ・・・ それが価格を表現し、価値の基準として役立てばそれは貨幣である。
アーサー・アーノルド (「ソヴィエト・ロシアの銀行・信用・貨幣」 白浜篤之介訳、慶応書房、昭和14年)

 

[参考文献]

 


 

はじめに / 序.ロシアにおける金本位通貨制度の実施 /
1. 帝政ロシア末期の貨幣流通 / 2. 第一次大戦下の通貨事情 /
3. 臨時政府の通貨発行 / 4. 十月革命とソヴェト政府の通貨政策 /
5. 国内戦争と戦時共産主義の時代 / 6. 新経済政策と通貨制度の再建 /
全国的通貨 / 地域通貨

アルマヴィル貨幣の歴史的考察 / 非貨幣交換のための貨幣代用物 /
団結は力なり ― 消費組合の代用貨幣 /

ロシア革命史 (年表)