ヴォロチャーエフカの戦闘
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「ヴォロチャーエフカの戦闘」 眺望画 Панорама "Волочаевская битва"
グロデーコフ名称ハバロフスク地方郷土誌博物館 |
1921年5月26日、ヴラヂヴォストクで駐留日本軍の支持のもとに、コルチャーク軍の残党であるカッペリ兵団 «Каппелевцы» によるクーデターが起こり、極東共和国の沿海州政庁 Приморское областное управление ДВР は打倒され、メルクーロフ兄弟 братья С.Д. и Н.Д. Меркуловы の 「沿アムール臨時政府 Приамурское временное правительство 」 が樹立された。 1921年11月30日、メルクーロフ政府のモルチャーノフ将軍 Молчанов Викторин Михайлович, 1886-1975 麾下の白衛軍 (兵員4500、機関銃63、火砲12、装甲列車3) はウスリー鉄道沿いに北上し、12月22日にはハバロフスクを占領、さらにハバロフスク西方のヴォロチャーエフカに陣地を築いた。 一方、V.K.ブリューヘル Блюхер Василий Константинович, 1889-1938 指揮下の極東共和国人民革命軍部隊 (兵員7600、機関銃300、火砲30、装甲列車3、戦車2) は翌1922年2月5日に攻勢に転じ、2月10日ヴォロチャーエフカへの突撃を開始した。 極寒マイナス35℃の深雪の中、劣悪な防寒装備の人民革命軍の兵士たちは突撃を繰り返し、3昼夜に及ぶ激戦の末、2月12日にヴォロチャーエフカは人民革命軍に占領された (ヴォロチャーエフカの日々)。 そして、2月14日にはハバロフスクが解放された。
この 「ヴォロチャーエフカの戦闘」 のエピソードは、ロシア (ソヴェト連邦) の人々の愛唱歌 『По долинам и по взгорьям (谷を渡り丘を越え)』 の中で、歌い継がれている。 サウンド (Mpeg Audio) |
По долинам и по взгорьям |
谷を渡り丘を越え
(直訳) |
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《参 考》
日本では 『野こえ山をこえ』 の曲名で知られている (訳詩は中央合唱団)。
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野こえ山をこえ
【訳詞】中央合唱団 |
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